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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)8253号 判決

原告

西村禎介

原告

西村恵子

原告

西村重明

原告

西村雅恵

右原告四名訴訟代理人

原田栄司

被告

荒井和彦

被告

荒井豊

右被告両名訴訟代理人

平沼高明

堀井敬一

関沢潤

主文

一  被告らは、各自、原告西村禎介に対し金七六八万一八四一円及び内金一二〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告西村惠子に対し金一八八五万九〇七六円及び内金四八〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告西村雅惠、同西村重明に対し各金六六万円及び各内金六〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、各支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告西村禎介に対し金二二五八万七七〇八円及び内金五〇〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告西村惠子に対し金四五五八万六七六一円及び内金一〇〇〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告西村雅惠、同西村重明に対し各金二七五万円及び各内金二五〇万円に対する昭和四九年七月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、各支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一請求原因

1  事故の発生

原告らは、次の交通事故(以下「本件事故」という。)によつて傷害を負つた。

(一) 日時 昭和四九年七月二一日午後一二時五〇分ころ

(二) 場所 横浜市港南区上大岡町二八〇番地先道路(以下「本件道路」という。)

(三) 加害車輛 小型自家用自動車(横五五た六四五七)

右運転者 被告荒井豊(以下「被告豊」という。)

(四) 被害車輛 小型自家用自動車(横五五も一五八四)

右運転者 原告西村惠子(以下「原告惠子」という。)

右同乗者 原告西村禎介(以下「原告禎介」という。)

同西村雅惠(以下「原告雅惠」という。)

同西村重明(以下「原告重明」という。)

(五) 態様 加害車輛が信号機の赤色表示に従つて停車中の被害車輛の後部に追突し、その衝撃により同車がその前方に停車中の小型トラックの後部に追突した。

2  責任原因

(一) 被告荒井和彦(以下「被告和彦」という。)及び被告豊は、いずれも加害車輛を自己のため運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の規定に基づき本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任を負う。

(二) 被告豊は、前方を十分に注視しないまま加害車輛を走行させた過失によつて本件事故を惹起したものであるから、民法七〇九条の規定に基づき本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任を負う。

3  原告らの身分関係

原告禎介(昭和八年七月二五日生)と原告惠子(昭和一〇年二月一八日生)は、昭和三五年一二月二〇日に結婚した夫婦であり、原告雅惠(昭和三五年一二月七日生)は右夫婦の長女、原告重明(昭和三八年八月七日生)は右夫婦の長男である。

4  原告らの傷害及び治療経過

(一) 原告禎介について

原告禎介は、本件事故により頸椎胸椎腰椎捻挫の傷害を負い、その診療・治療のため次のとおり病院に入・通院した。

(1) 磯子中央病院

昭和四九年七月二二日から同月二六日まで五日間通院。

同月二七日から同年一〇月三日まで六九日間入院。

同年一〇月四日から昭和五一年一月一七日まで通院(内実通院日数一二八日)。

(2) 浄風園病院

昭和五一年六月一〇日から同年七月二日まで二三日間入院。

右入院期間を除き同年三月二九日から同年九月二日まで一五八日間通院(内実通院日数八日)。

(二) 原告惠子について

(1) 原告惠子は、本件事故により脊髄損傷(脊髄クモ膜出血による脊髄髄膜癒着)の傷害を負い、磯子中央病院に昭和四九年七月二一日から昭和五〇年一月三一日まで一九五日間入院し、同年二月一日から同年一〇月一〇日まで二四一日間通院(実通院日数八六日)し、国立療養所箱根病院に昭和五〇年一〇月一一日から昭和五三年四月二七日まで入院して診察・治療を受けたが、治癒せず、昭和五二年八月四日症状固定の診断を受け、両上肢肩甲部より第二ないし第五指までの知覚鈍麻痺、腹部下部より両足までの知覚麻痺及び運動麻痺(左側痛覚消失)、両手指第二ないし第五指の変形ある屈曲状態、常時の頸部及び背部痛の後遺障害が残り、今後一生の間車椅子による生活を余儀なくされ、右障害は自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)第一級に該当する。

原告惠子が脊髄損傷の傷害を負つたことは、次の点からも明らかである。すなわち、原告惠子は、受傷直後から吐気、両手・両足の痺れ、胸部痛、目眩を訴え、特に昭和四九年九月から一〇月にかけては左足の痺れがひどく寝たきりの状態であり、同年一一月末に腰部にコルセットを着装して歩行訓練をしたものの、同年一二月初めにも左足の痺れを訴える状態であり、昭和五〇年一月三一日、磯子中央病院を退院した時点においては、物につかまるか支えられるかして摺足でしかも腰で調子をとることにより辛うじて歩行が可能な状態であつたが、少しでも足を持ち上げると膝又は足首が全く意識のないまま折れ、転ぶような状態であつた。このように、原告惠子は、受傷から一年二か月経過後突然両足の運動麻痺が起つたわけではなく、外傷性脊髄髄膜炎から癒着が序(ママ)々に進行して脊髄損傷の症状を呈するに至つたもので、このような事態は稀ではあるが医学的にみて十分起こり得ることである。そして、原告惠子は、転医先である国立療養所箱根病院で脊髄損傷(脊髄クモ膜出血による脊髄髄膜癒着)との診断を受けており、同病院は、脊髄損傷の専門病院として名高い病院であるから、同病院が神経症による麻痺と器質的変化による麻痺とを誤つて診断することは考えられないところである。また、一般に脊髄損傷の場合、排尿障害を伴なうことが多いにもかかわらず、原告惠子には排尿障害がみられないが、排尿障害の有無、程度は損傷の部位、程度によつて異なるものであるから、同原告に排尿障害がないことをもつて直ちに脊髄損傷がないとはいえないものである。

(2) 仮に、原告惠子に脊髄損傷の傷害が認められないものとしても、同原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を被むり、このため右(1)のとおり長期間にわたる入院を余儀なくされて自由を束縛され幸福な家庭生活を破壊されるという重大な精神的外傷を加えられた結果転換ヒステリーに罹患し、これによる右(1)のとおりの下半身麻痺等の症状が発現しているものであり、原告惠子の右障害と本件事故との間には因果関係があるものというべきである。すなわち、もし原告惠子が本件事故に遭遇しなければ右障害を被ることはなかつたことが確実であるばかりでなく、一般に交通事故によつて下半身等の麻痺を生じる例は少なくないところであり、本件事故の態様も、原告惠子が停車中の被害車輛の運転席で座席位置の調整をしようとして腰を浮かした瞬間に加害車輛に追突され、その衝撃で被害車輛が前方に停車していたトラックに衝突したもので、その際、原告惠子は、胸部、上腹部をハンドルで強打し、何か所もへアピンで留めてあつたかつらが頭から離れて飛んでしまつた程の衝撃を受けたものである。したがつて、本件事故は、通常であれば脊髄損傷の傷害にまで至つても不思議でない態様の事故であり、たまたま原告惠子が日頃合気道などで身体を訓練していたため頸椎捻挫の傷害に止まつたにすぎないものである。加えて、原告惠子が転換ヒステリーに罹患する素地となつたヒステリー性格は、社会一般、特に女性においては多くみられるところであつて、いわば右障害は、本件事故に必然的に伴なう精神的外傷の結果というべきものであるから、本件事故と原告惠子の前記障害との間には因果関係があるものというべきである。

5  損害

(一) 原告禎介の損害

(1) 入・通院雑費 金一六万一五〇〇円

原告禎介は、前記の入・通院(入院九二日、実通院一四一日)により、ほぼ入院一日につき金一〇〇〇円、通院一日につき金五〇〇円の雑費を支出し、少なくとも合計金一六万一五〇〇円の損害を被つた。

(2) 入・通院交通費 金二八万八二〇〇円

原告禎介は、自宅から磯子中央病院まで往復ともタクシーを利用して一三一回通院したが、その一回の往復のタクシー代は金二二〇〇円であつたから合計金二八万八二〇〇円の損害を被つた。

(3) 文書料 金三万九六八〇円

原告禎介は、本件事故のため、印鑑証明、戸籍抄本、診断書などの交付を受けるための費用として右金額を支出した。

(4) 逸失利益 金一五一〇万〇四二〇円

(イ) 原告禎介は、昭和三一年四月一六日に一〇〇パーセント外資会社である日本アイ・ビー・エム株式会社(以下「日本アイ・ビー・エム」という。)に入社し、技術部、営業部などを経て本件事故当時は施設企画のライン・マネージャー(課長職)の地位にあつた。

(ロ) 同会社における原告禎介の本件事故前後の給与額(基本給)の推移は別表1のとおりであるが、同会社の管理職の基本給の昇給体系は、日本の通常の会社と異なり完全な実績主義によつて構成されているため、原告禎介が本件事故による受傷のため昭和四九年に入院し、欠勤したことが昭和五〇年一月の昇給に、同年に欠勤しあるいは勤務制限・残業禁止の措置を受けたことが昭和五一年一月の昇給に、同年に再入院し、欠勤したことが昭和五二年一月の昇給にそれぞれ影響し、また、本件交通事故の後遺症により勤務中に頭痛、腰痛、視力低下に襲われ作業能率が著しく低下したことも加わつて、昭和四五年から昭和四九年一月までの過去五回の昇給時における一年あたりの平均昇給率が一二・六四パーセントであつたのに対し、右昭和五〇年ないし昭和五二年にはその二分の一以下の率による昇給しか得られなかつた。しかしながら、同原告が本件事故で受傷しなければ、同原告の過去の実績からみて、昭和五〇年から昭和五二年の間においても少なくとも過去における最低の昇給率である年一一パーセントを下らない昇給が得られたはずである。

したがつて、原告禎介は、本件事故により、昭和五〇年一月一日から昭和五二年一二月末日までの三年間につき、毎年一一パーセントの昇給率で昇給した場合における給与額と現実に支給された給与額との差額(昇給差額)に相当する金額の損害を被つたものであり、また、昭和五三年以降については、昭和五二年において生じた昇給差額と同額の損害を満六〇歳の定年退職時である昭和六八年まで毎年被り続けることになる。そして、同原告は、昭和三六年以降昭和五二年まで毎年基本給の八か月分に相当する賞与の支給を受けており、昭和五三年以降においても同様に賞与の支給を受けられることが確実であるから、一年あたりの損害額を基本給月額における昇給差額の二〇倍として計算すると、その損害額の合計は別表2のとおり金一五一〇万〇四二〇円となる。

なお、中間利息控除について、原告禎介は、昭和五三年以降右の損害のほか昭和五二年において生じた昇給差額に更に昭和五三年以降における実際の昇給率を乗じた額の損害をも被つており、実際の昇給率が法定利率である年五パーセントを下回ることはないなどの事情を考慮すれば、右請求にかかる昭和五三年以降の損害額の現価を算出するにあたつては中間利息を控除すべきではない。

(5) 入・通院慰藉料 金一五〇万円

原告禎介がその受傷及び入・通院によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は金一五〇万円が相当である。

(6) 原告惠子の負傷による原告禎介の慰藉料 金五〇〇万円

原告惠子が前記のとおり本件事故により重傷を負い、長期間の入院を余儀なくされたうえ、等級表第一級に該当する両上肢知覚鈍麻、両下肢知覚運動麻痺等の後遺障害を被つた結果、原告らの一家四人水いらずの幸福な家庭が破壊されるに至り、このため原告禎介は、妻である原告惠子が生命を害された場合に勝るとも劣らない精神的苦痛を被つた。右原告禎介の精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(7) 損害のてん補 金一五四万七四二〇円

原告禎介の以上の損害費目の合計金額は金二二〇八万九八〇〇円となるところ、同原告は、右損害に対するてん補として加害車輛の加入する任意保険から金一五四万七四二〇円の支払を受けたから、右てん補後の損害額は金二〇五四万二三八〇円となる。

(8) 弁護士費用 金二〇五万三四二八円

原告禎介は、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任することを余儀なくされ、その報酬等として、右てん補後の損害額のうち本訴において請求する金二〇五三万四二八〇円の一割にあたる金二〇五万三四二八円を支払う旨約し、右と同額の損害を被つた。

(二) 原告惠子の損害

(1) 入・通院雑費 金一一七万五〇〇〇円

原告惠子は、前記の入・通院(入院一一三二日、実通院八六日)により入院一日につき金一〇〇〇円、通院一日につき金五〇〇円の雑費を支出し、合計金一一七万五〇〇〇円の損害を被つた。

(2) 入・通院等交通費 金四八万九二〇〇円

原告惠子の前記入院期間中、同原告の洗濯物、日用品等の交換、補充及び病院との打合わせのため、同原告の家族、親戚などが週に一回以上病院へ往復したため、同原告は、そのガソリン代等の交通費として少なくとも金三〇万円の損害を被つた。

また、同原告は、前記のとおり、磯子中央病院へ八六回通院したが、その一回の往復の交通費(タクシー代)として金二二〇〇円を要したため、合計金一八万九二〇〇円の損害を被つた。

(3) 家事手伝い費 金一〇九万三〇〇〇円

原告惠子が前記のとおり入院したため、当時一〇歳の原告重明、当時一三歳の原告雅惠らを含む原告らの家庭の家事に従事する者がなくなり、このため原告らの家庭では、原告禎介が磯子中央病院を退院して勤務先に出勤しはじめた日である昭和四九年一〇月二四日以降通い又は住込みの家事手伝いを雇わざるを得なかつた。原告惠子は右家事手伝い費として昭和五二年八月四日までに金一〇九万三〇〇〇円を要した。

(4) 子供養育費 金一七万二〇〇〇円

原告らの家庭では、原告禎介、同惠子の両名の入院中、原告雅惠、同重明の両名を親戚に預つてもらわざるを得ず、原告重明を昭和四九年八月三〇日から同年一〇月二三日までの五五日間原告禎介の義理の妹に、また原告雅惠を昭和五一年六月一〇日から同年七月一〇日までの三一日間原告惠子の義理の両親にそれぞれ預かつてもらつたが、原告惠子は、右につきそれぞれ一日あたり金二〇〇〇円を養育費として支払い、合計金一七万二〇〇〇円の損害を被つた。

(5) 補装具購入費 金一八三万三七六〇円

原告惠子は、前記のとおり、両下肢の知覚・運動麻痺の後遺症のため、車椅子及び長下肢装具の使用を余儀なくされたところ、車椅子の購入費用は昭和五一年一〇月九日購入時金九万五一〇〇円、長下肢装具の購入費用は同月六日購入時金一三万四一二〇円(合計金二二万九二二〇円)であり、これらは今後五年毎に買い替えるとして、その余命期間中に、右を含め八回購入する必要があるから、その損害額は金一八三万三七六〇円となる。

なお、右の将来支出する費用について損害賠償額の現価を算出するにあたつては、戦後三〇年間の消費者物価の上昇率からみて、買い替え時期において現在の価格を上回ることが明らかであるから、中間利息を控除すべきでない。

(6) 乗用車改造費 金七八万四〇〇〇円

原告惠子は、普通自動車運転免許を有し、本件事故時まで自動車を運転していたが、前記後遺障害のため、同原告でも運転できるように使用中の乗用車を改造せざるを得なくなり、昭和五二年一一月に改造費用として金一一万二〇〇〇円を支出した。そして、同原告が将来乗用車を五年に一回買い替えるとすれば、その余命期間中に七回買い替える必要があり、その都度右と同額の改造費用を要することになるから、これによる損害は合計金七八万四〇〇〇円となる。

なお、右の将来支出する費用について損害賠償額の現価を算出するにあたり、中間利息を控除すべきでないことは、前記補装具の場合と同様である。

(7) 住宅改造費 金四一一万六五四五円

原告らの住宅を原告惠子の車椅子による生活に支障がないように改造し、原告惠子はその費用として金四一一万六五四五円を要した。

(8) 逸失利益 金二六〇三万九九〇四円

(主位的主張)

原告惠子は、短期大学を卒業したのち二四歳で原告禎介と結婚し、家庭の主婦として家事労働に従事するかたわら昭和四九年四月から七宝焼の教室を開設していたもので、本件事故により受傷しなければ後遺症固定時(昭和五二年八月四日)の満四二歳から満六七歳までの二五年間稼働可能であり、その間昭和五二年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者全年齢平均給与額を一・〇五九倍した額の収入を得られたはずであるところ、本件事故により等級表第一級に該当する後遺障害を被り、労働能力を一〇〇パーセント喪失したから、右収入を基礎として新ホフマン式計算法により年五分の割合の中間利息を控除して逸失利益の現価を算定すると、その合計額は次の計算式のとおり、金二六〇三万九九〇四円(一円未満切り捨て)となる。

136,100×12×15.9441=26,039,904

(予備的主張)

原告惠子は、本件訴訟における鑑定嘱託の結果提出された鑑定書によつて、はじめて自己の疾患が脊髄の器質的障害によるものでなく、解離ヒステリー及び転換ヒステリーに罹患していることを知り得るに至つたのであるから、同原告が精神療法による治療を受け得た日は右鑑定書作成日である昭和五七年九月三〇日の翌日以降であり、右昭和五七年九月三〇日までは、同原告は、脊髄損傷患者として自己も周囲も認識し、また病院からもそのように扱われ、現にその症状で苦しんでいたものである。したがつて、同日までの同原告の損害は、既に経過した損害というべきであるから、右時点で既発生損害(休業損害)と将来の損害(得べかりし利益)とを分別して計算すると、次のとおり、その合計は金五一七二万一〇〇〇円となる。

原告惠子は、右の内金二六〇三万九九〇四円を逸失利益についての予備的請求として主張する。

(イ) 受傷日より昭和五七年九月三〇日までの休業損害 金二二一二万円

昭和五〇年から昭和五七年までの賃金センサス・全国性別年令階級別平均給与額(女子労働者)を基礎収入とし、その全額の現時点までの年五パーセントの割合による損害金

昭和49.9〜50.8 125,700×12×(1+0.05×9)=2,187,100

昭和51年(昭和50.9〜51.8)125,700×12×(1+0.05×8)=2,111,760

昭和52年 128,500×12×(1+0.05×7)=2,081,700

昭和53年 136,100×12×(1+0.05×6)=2,123,160

昭和54年 1,701,800×(1+0.05×5)=2,127,250

昭和55年 1,887,000×(1+0.05×4)=2,264,400

昭和56年 1,987,600×(1+0.05×3)=2,285,740

昭和57年 2,076,200×(1+0.05×2)=2,283,820

昭和58年 2,174,000×(1+0.05×1)=2,391,400

合 計 22,120,730

(ロ) 昭和五七年一〇月以降就労可能年齢六七歳までの得べかりし利益 金二九六〇万一〇〇〇円

昭和五七年賃金センサス・第一巻第一表・女子労働者年齢別平均給与額を原告惠子の基礎収入とし、労働能力喪失率を一〇〇パーセントとして、四七歳から六七歳までの二〇年に対応するホフマン係数を乗じて算定すると、次の計算式のとおり、その現価は合計金二九六〇万一一八四円となる。

2,174,000×13.616=29,601,184

(9) 入・通院慰藉料 金四〇〇万円

原告惠子がその受傷及び入・通院によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は金四〇〇万円が相当である。

(10) 後遺障害慰藉料 金一〇〇〇万円

原告惠子は、前記のとおり、本件事故により等級表第一級に該当する後遺障害を被り、今後一生車椅子による生活を余儀なくされるに至つたもので、これにより被つた精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇〇〇万円を下らない。

(11) 損害のてん補 金七九六万〇八九九円

原告惠子の以上の損害費目の合計金額は金四九七〇万三四〇九円となるところ、同原告は、右損害に対するてん補として加害車輛の加入する任意保険から金七九六万〇八九九円の支払を受けたから、右てん補後の損害額は金四一七四万二五一〇円となる。

(12) 弁護士費用 金四一七万四二五一円

原告惠子は、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任することを余儀なくされ、その報酬等として、右てん補後の損害額である金四一七四万二五一〇円の一割にあたる金四一七万四二五一円を支払う旨約し、右と同額の損害を被つた。

(三) 原告雅惠、同重明の損害

(1) 慰藉料 各自金二五〇万円

原告雅惠及び同重明は、本件事故により、自らも傷害を受けたほか、父である原告禎介及び母である原告惠子がいずれも長期入院を要する傷害を被り、一家四人水入らずの楽しかるべき家庭生活を破壊されたうえ、原告惠子が等級表第一級に該当する後遺症に苦しむ姿を目のあたりに見せられたもので、その被つた精神的苦痛は筆舌に尽し難く、これに対する慰藉料は各自金二五〇万円を下らない。

(2) 弁護士費用 各自金二五万円

原告雅惠及び同重明は、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため原告ら訴訟代理人に本訴の提起、追行を委任することを余儀なくされ、その報酬等として各自金二五万円を支払うことを約し、右と同額の損害を被つた。

6  よつて、原告らは、被告ら各自に対し、原告禎介において前記損害額の内金二二五八万七七〇八円及び内金五〇〇万円(原告惠子の負傷及び後遺障害による原告禎介の慰藉料)に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四九年七月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告惠子において前記損害額の内金四五五八万六七六一円及び内金一〇〇〇万円(後遺障害慰藉料)に対する同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告雅惠、同重明各自において前記損害金二七五万円及び弁護士費用を除く各内金二五〇万円に対する同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2  同2の各事実及び主張は認める。

3  同3の事実は不知。

4(一)  同4(一)の事実中、原告禎介が本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い、その診察、治療のため磯子中央病院及び浄風園病院に入・通院したことは認めるが、入・通院の期間、実通院日数は不知。

(二)(1)  同(二)(1)の事実中、原告惠子が磯子中央病院及び国立療養所箱根病院に入・通院したことは認め、その入・通院の期間、実通院日数は不知、その余は否認する。

原告惠子には脊髄損傷の傷害はなく、またその主張する後遺障害と本件事故との間には因果関係もない。すなわち、同原告は、磯子中央病院退院時には症状が軽快し独歩万能であつたところ、受傷から一年二か月経過後両足の運動麻痺を起こしたものであり、同原告には身体に器質的病変もみられず、また排尿障害もないのであつて、両足の運動麻痺は脊髄損傷によるものではなく、単なる機能障害であり、その原因は、本件事故後、同原告が解離ヒステリー及び転換ヒステリーに罹患したことにあるものである。

(2)  同(2)の事実中、原告惠子が本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたこと、同原告が転換ヒステリーに罹患したこと、同原告に両足運動麻痺の症状が発現していることは認め、その余は否認する。

(イ) 原告惠子の両足運動麻痺等の症状の原因は、右(1)のとおり、同原告が本件事故後解離ヒステリー及び転換ヒステリーに罹患したことにあるところ、これは同原告のヒステリー性格、本件事故とそれに続く入院生活、人院生活中の周囲の過度の庇護(入院から昭和四九年一〇月初旬まで付添者が付いていたこと)、医師と患者である同原告との人間関係のもつれ、周囲の者から症状を教え込まれることによる注意固着や暗示作用などの多数の要因によつて生じたもので、なかでも注意固着や暗示作用が症状形成に大きな役割を果しているものである。そして、このようなヒステリーによる身体症状は、精神医学的治療(暗示療法等)により症状が消失し回復する余地があるものと言われており、被告らとしても、本件訴訟提起前に被告ら訴訟代理人である弁護士平沼高明が被告らの代理人として原告らと損害賠償について交渉を行なつた当時から原告惠子の症状は神経症によるものである旨主張していたものである。しかるに、原告らは被告らの主張の真偽を全く問題にせず、原告惠子を精神科医に診せようとしないまま放置していたもので、同原告に対する精神医学的治療は何ら行なわれないまま現在に至つているものである。

ところで、いわゆる後遺障害とは、一般に治療上の効果が上がらないという意味で症状が固定している場合をいうものであり、傷病に対して行なわれる医学上一般に承認された治療方法をもつてしてもその効果が期待し得ない状態をいうものであるから、精神医学的治療によつて回復の余地のある原告惠子の症状は後遺障害とはいえないものである。

(ロ) 仮に、原告惠子に後遺障害があるとしても、同原告に対する自賠法施行令に基づく後遺障害等級の認定については、昭和五三年七月一〇日付で横浜駅前調査事務所長により等級第一四級九号に該当するとの事前認定が出され、その後本件訴訟における横浜市立大学医学部医師酒井正雄作成の鑑定書を添えてなされた再度の事前認定申請に対しても昭和五八年五月一二日付で同所長により前回の結論に変更はない旨の認定がなされているから、被告らは、右二回の事前認定で認められた等級表第一四級九号の後遺障害の限度においてのみ責任を負うというべきである。

(ハ) 仮に、原告惠子の両足運動麻痺等の症状が後遺障害と認められるとしても、右後遺障害と本件事故との間には相当因果関係がないというべきである。すなわち、法律上の因果関係は、単なる条件関係の存在にとどまらず、通常生ずべき損害に限定した相当因果関係の存在を要するものというべきところ、原告惠子の症状は、右(イ)のとおり多数の因子が作用して発生したもので、本件事故が一つの誘因として作用したことは否定できないとしても、周囲の過度の庇護や医師対患者の人間関係のもつれなどが症状を慢性化させ、時には増悪化させる因子として作用し、加えて注意固着や暗示作用が新しい症状形成に大きな役割を果たしているものであつて、このように不利な条件が多数重なることは極めて稀にしか起らないことであり、同原告のような症状の発生が交通事故の結果として一般的に生じ得るものとは到底いうことができないから、本件事故と同原告の後遺障害との間には相当因果関係がないものというべきである。

(ニ) 仮に、原告惠子の右後遺障害の存在及びこれと本件事故との因果関係が認められるとしても、損害の算定にあたり相当の減額がなされるべきである。すなわち、原告惠子の症状については、右のとおり、同原告の素因及び加害者側(被告側)の行為とは無関係な同原告側の支配領域にある要因とが症状の発生とその慢性化、増悪化に与かつて余りあるものであり、しかも回復可能性の残された精神医学的治療を全く行なつていない現在の状況を考慮すると、同原告の全損害を被告らが賠償しなければならないとするのは損害の公平な分担という不法行為法の理念に照らして不当であり、相当の減額がなされるべきである。

5(一)(1) 同5(一)(1)のうち、入・通院の日数は不知、その余は争う。

(2)  同(2)の事実は否認する。タクシーを利用する必要性はない。

(3)  同(3)の事実は不知。

(4)  同(4)の(イ)の事実中、原告禎介が日本アイ・ビー・エムの社員であることは認め、その余は不知。

同(4)の(ロ)の事実中、原告禎介の給与額の推移は不知、その余は否認し争う。

(5)  同(5)の慰藉料額は争う。

(6)  同(6)の事実は否認する。原告惠子の後遺症と本件事故との間には因果関係がない。

(7)  同(7)の損害てん補の事実は認める。

(8)  同(8)の弁護士費用の請求は争う。

(二)(1)  同(二)(1)及び(2)につき、その主張の金額は争う。

(2)  同(3)ないし(8)の各事実はいずれも否認する。

(3)  同(9)の慰藉料額は争う。

(4)  同(10)の事実は否認し、主張は争う。原告惠子の後遺症と本件事故との間には因果関係がない。

(5)  同(11)の損害てん補の事実は認める。

(6)  同(12)の弁護士費用の請求は争う。

(三)  同(三)(1)の慰藉料及び同(2)の弁護士費用の請求はいずれも争う。

6  同6の主張は争う。

三抗弁

被告和彦が加害車両について任意保険契約を締結していたので、右任意保険から、本件事故の損害のてん補として原告惠子に対し、総額金一四九四万六四八九円、治療費以外の分として金一一〇八万八〇七九円(原告主張のてん補額のほか金三一二万七一八〇円)が、原告禎介に対し、総額金二五七万三七五〇円、治療費以外の分として金一六〇万円(原告主張のてん補額のほか金五万二五八〇円)がそれぞれ支払われた。

四抗弁に対する認否すべて認める。

第三  証 拠≪省略≫

理由

一請求原因1(本件事故の発生)の事実及び同2(責任原因)の(一)の事実中、被告両名が自己のために加害車輛を運行の用に供していた者である事実はいずれも当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告らは、自賠法三条の規定に基づき、本件事故によつて原告らが被つた損害を賠償すべき責任を負うものというべきである。

また、<証拠>によれば、請求原因3(原告らの身分関係)の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二そこで、まず原告禎介の傷害及び損害について判断する。

1傷害について

請求原因4の(一)の各事実中、原告禎介が本件事故により頸椎捻挫の傷害を負い、その診察・治療のため磯子中央病院及び浄風園病院に入・通院したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、原告禎介は、本件事故により頸椎・胸椎・腰椎捻挫の傷害を負い、その診察、治療のため、磯子中央病院に、昭和四九年七月二二日から同月二六日まで五日間通院し、同月二七日から同年一〇月三日まで六九日間入院し、同月四日から昭和五一年一月一七日まで通院(実通院日数一二八日)したのち、浄風園病院に、同年三月二九日から同年六月九日まで通院し、同月一〇日から同年七月二日まで二三日間入院し、同月三日から同年九月二日まで通院したこと、同原告は、右受傷のため勤務先である日本アイ・ビー・エムを本件事故以後昭和四九年一〇月二三日まで欠勤し、翌二四日から出勤するようになつたものの、通院及び頭痛等の症状のため、同会社健康管理室嘱託医の指示に基づき、同会社において昭和四九年一二月二六日から昭和五〇年六月一〇日まで勤務時間制限(午前一〇時から午後四時まで)の措置を、同月一一日から同年一二月一六日まで残業禁止の措置をそれぞれ受け、翌一七日から平常勤務とされたのちも、昭和五一年には右浄風園病院への入・通院や頭痛のため約一一一日欠勤し、最近でも気象の変化等により時々頭痛が発症する状況にあることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

2損害について

(一)  入院雑費 金七万三六〇〇円

右1に認定した事実によれば、原告禎介が前示の入院期間(九二日)中、一日あたり金八〇〇円を下らない雑費を要したことを推認することができ、右推認を覆えすに足りる証拠はないから、同原告は、入院雑費として合計金七万三六〇〇円の損害を被つたものというべきである。

なお、通院雑費については、これを要したことを認めるべき特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

(二)  通院交通費 金二六万二〇〇〇円

右1に認定した事実に、<証拠>を総合すると、原告禎介は、自宅から磯子中央病院に往復ともタクシーを利用して一三一回通院し、一回の往復に少なくとも金二〇〇〇円のタクシー代を要したこと、当時の同原告の症状、自宅から最寄りの公共交通機関までの距離、公共交通機関による通院の所要時間、混雑状況等からみて、通院にタクシーを利用するのもやむを得ない状況にあつたことが認められ、右認定を左右するに足りる確たる証拠はない。右の事実によれば、原告禎介は、通院交通費として合計金二六万二〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

(三)  文書料 金三万九六八〇円

弁論の全趣旨によれば、原告禎介が、本件事故によつて被つた損害の賠償を求めるなどのため、印鑑証明、戸籍抄本、診断書などの交付を受け、その費用として合計金三万九六八〇円を支出したものと推認することができ、右推認を覆えすに足りる確たる証拠はないから、同原告は、右文書料の支出により金三万九六八〇円の損害を被つたものというべきである。

(四)  逸失利益 金六〇〇万六五六一円

右1に認定した事実に、<証拠>を総合すると、原告禎介が勤務する日本アイ・ビー・エムはいわゆる外資系の企業であり、同原告は、本件事故当時、一般の会社における課長に相当する管理職であるライン・マネジャーの地位にあり、普通以上の勤務成績を納めていたこと、同会社の給与体系は、他の一流企業と同等以上の給与水準の確保、担当職務に相応する給与の支給、勤務成績に応じた昇給の三点を骨子として構成されており、ことに管理職においては勤務成績が重視されていること、同原告の本件事故前後における基本給額の推移は別表3のとおりであつて、昭和四五年から本件事故前である昭和四九年一月の昇給時までは一年あたりの昇給率が最も低いときでも約一一パーセントであつたのに対し、本件事故後においては、昭和五〇年一月に約二・八パーセントの減給がなされたうえ、昭和五一年一月に約六・一パーセントの、昭和五二年一月に約五・〇パーセントの各昇給(なお昭和五三年一月は約五・八パーセント、昭和五四年一月に約七パーセントである。)がなされたにとどまつたこと、右の昭和五〇年一月ないし昭和五二年一月における基本給の推移には、同原告が前示のとおり本件事故のため欠勤しあるいは勤務時間制限ないし残業禁止の措置を受けたことが影響していること、昭和五一年一〇月まで同原告の直接の上司として同原告の昇給額の決定につき第一次的な評価、査定を担当していた篠原四郎は、右の昭和五一年一月の約六・一パーセント、昭和五二年の約五・〇パーセントの各昇給に関し、仮に、同原告に前示のような欠勤等がなければ、右より少なくとも三ないし五パーセント高い昇給率による昇給を得られたであろうと判断していること、右の同原告のように欠勤等のため基本給に昇給差が生じた場合、一旦生じた昇給差額が将来にわたつて継続する可能性も否定できないものの、同会社の昇給基準では他社の給与額の動向も斟酌されるうえ、同程度の勤務成績を収めた場合には従前の給与額が低い場合程高率の昇給を得られる傾向があることから、将来の勤務成績によつては欠勤等がなかつた場合と同額にまで基本給額が回復する可能性もあること、同原告は、本件事故後、ライン・マネジャーの職からスタッフ・マネージャーの職に配置替えとなつたが、右配置替えは必ずしも降格にはあたらないこと、同会社においては、過去約二〇年間各従業員に対し毎年基本給の八か月分に相当する賞与を支給していること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる確たる証拠はない。

右の事実によれば、原告禎介は、本件事故により受傷しなければ、昭和五〇年一月、昭和五一年一月、昭和五二年一月の各時点において、それぞれ少なくとも八パーセント程度の昇給率による昇給を得られたはずであること、また右のとおり昇給した場合における基本給額と現実の基本給額との間に差額(昇給差額)が存する状態は、昭和五三年一月一日以降においても直ちに解消されることはなく、少なくとも同日から昭和五七年一二月末日までの五年間は、昭和五二年において既に生じている昇給差額と同額の差額が存する状態が継続するものと推認することができ、この推認を覆えすに足りる確実な証拠はない。

してみれば、原告禎介は、昭和五〇年一月一日から昭和五二年一二月末日までの三年間につき、昭和四九年の基本給月額を基礎として昭和五〇年一月、昭和五一年一月、昭和五二年一月にそれぞれ八パーセントの昇給率で昇給した場合における基本給月額と現実に支給された前示の基本給月額との差額を二〇倍した金額の損害を毎年被つたものというべきであるから、その損害額は、別表4のとおり合計金二一二万六九〇〇円となる(一円未満切り捨て。以下同様。)。

また、前記認定の事実によれば、原告禎介は、昭和五三年一月一日から昭和五七年一二月末日までの五年間につき、昭和五二年において既に生じている昇給差額(年額金八九万六一二〇円)と同額の損害を毎年被つたものというべきであるから、右年額を基礎としてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、その損害額の現価は、次の計算式のとおり、合計金三八七万九六六一円となる。

896,120×4.3294=3,879,661

なお、<証拠>によれば、原告禎介の被つた傷害は遅くとも昭和五二年一二月末日には治癒ないし症状が固定したものと認められるから(右認定を覆えすに足りる確かな証拠はない。)、右認定の損害中、昭和五二年一二月末日までの分は、その性質を休業損害とみることができるものの、昭和五三年以降の分は治癒ないし症状固定後の逸失利益とみるべきものであるから、右のとおり中間利益を控除するのが相当である。なお、原告禎介は右昇給差額に対する昭和五三年以降の実際の昇給率が年五パーセントを下回ることはないから、右事情を考慮して中間利息を控除すべきではないと主張するが、日本アイ・ビー・エムにおいては、前記のとおり社員の実績等により昇給率が適宜決定されており、昇給規定等の客観的な基準は存しないのであるから、原告禎介の昭和五三年以降五年間の実際の昇給率が毎年継続して確実に年五パーセントを下回ることがないものということができず、同原告の右主張は採用できない。

以上を合計すると、原告禎介の逸失利益の損害は金六〇〇万六五六一円となる。

(五)  入・通院慰藉料 金一〇〇万円

前示の原告禎介の傷害の内容、程度、入・通院期間、実通院日数等の諸事情に照らし、同原告が本件事故によつて被つた傷害に対する慰藉料は金一〇〇万円をもつて相当と認める。

(六)  原告惠子の負傷による原告禎介の慰藉料 金二〇〇万円

原告惠子が本件事故による受傷のため長期間入院したうえ等級表第一級に該当し生涯車椅子による生活を余儀なくされる後遺障害を被つたことは後記三に認定、判示するとおりであり、<証拠>によれば、原告禎介は、妻である原告惠子の受傷と後遺障害により同原告が死亡した場合に比較して著しく劣らない程度の精神的苦痛を被つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右の事実によれば、原告禎介にも原告惠子の受傷及び後遺障害による慰藉料請求権を認めるのが相当であり、この原告禎介の慰藉料としては、金二〇〇万円をもつて相当と認める。

(七)  以上認定の原告禎介の損害の合計額は金九三八万一八四一円となる。

三次に、原告惠子の傷害、後遺障害及び損害について判断する。

1傷害について

原告惠子が本件事故により少なくとも頸椎捻挫の傷害を負つたこと、同原告が本件事故による傷害の診察、治療のため磯子中央病院及び国立療養所箱根病院に入・通院したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告惠子が、本件事故による傷害の診察、治療のため磯子中央病院に昭和四九年七月二一日から昭和五〇年一月二六日まで一九〇日間入院し、その後同年一〇月一〇日までの間に同病院に通院(実日数八六日)し、国立療養所箱根病院に同月一一日から昭和五三年四月二七日まで九三〇日間入院したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

ところで、原告らは、本件事故により原告惠子は脊髄損傷の傷害を負つたと主張するので検討するに、<証拠>によれば、原告惠子は、昭和五一年一〇月四日に国立療養所箱根病院医師王昭洲により、「病名『頸髄不全損傷』。上記の疾患にて両下肢の運動麻痺のため車椅子、長下肢装具等の装用を要す。」との診断を受け、昭和五二年八月四日に同病院医師中島広志により「傷病名『頸髄損傷』。現在『両上肢知覚鈍麻、両下肢知覚運動麻痺』。障害の程度は、身体障害者福祉法別表中の第一級に該当するものと認める。」旨の診断を受け、同月八日に右医師王昭洲により、「傷病名『脊髄損傷(脊髄クモ膜出血により脊髄髄膜癒着)』。他覚症状及び検査結果『両上肢肩甲部より第二ないし五指まで(内側)知覚鈍麻。腹部下部より両足まで知覚麻痺及び運動麻痺、左側は痛覚消失。両手指第二ないし五指は屈曲状態(変形ある)。頸部痛及び背部痛を常時訴える。』。症状固定日昭和五二年八月四日。」との診断を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかしながら、<証拠>によると、

(一)  鑑定嘱託を受けた横浜市立大学医学部病院の神経科医師酒井正雄において、鑑定資料である原告惠子作成にかかる自己の病状経過を記載した書面、事故証明書兼事故状況報告書、磯子中央病院及び国立療養所箱根病院の診療録、看護日誌等を検討し、昭和五七年七月六日には原告惠子を直接診察し、また、同日から同年八月二〇日にかけて同大学医学部病院において同原告に対して行なつた諸検査の結果を総合検討したところ、同原告には、本件事故による受傷後、頭痛、悪心、めまい、耳鳴、頸部・項部痛、手足の痺れ、背部痛などの自覚症状が長期間にわたつて持続しており、磯子中央病院に入院中に六〇枚のエックス線撮影検査がなされているにもかかわらず、同病院の記録には重篤な頸椎の損傷を示唆する病的所見が記載されておらず、これらの自覚症状に見合う他覚的所見も乏しいこと、

(二)  原告惠子は、昭和四九年九月下旬には上肢の運動障害が、同年一〇月中旬には顕著な歩行障害が存在し、磯子中央病院通院時にも顕著な歩行障害が存在していた旨訴えているが、当時の医療機関の記録には、上肢・下肢の運動障害の存在を裏付けあるいは示唆する記載は全くなく、むしろ昭和四九年九月末からは入浴が、また同年一一月初めからは歩行も可となつており、排便・排尿の介助、入浴の介助、歩行障害、歩行介助に関する記録上の記載は全く見当らず、医療機関の記録に下肢の運動機能に関する記載が見られるのは昭和五〇年八月二二日以降であり、更にその後国立療養所箱根病院医師中島広志により昭和五二年八月四日「両上肢知覚鈍麻。両下肢知覚運動麻痺。起立不能。」と診断された時点ではじめて医療機関の記録と同原告の訴える障害の程度がほゞ一致を見るに至つており、医療機関の記録に基づく限り下肢の運動障害は昭和五〇年一月以降に発現したと考えざるを得ないこと、

(三)  磯子中央病院通院中の昭和五〇年九月から国立療養所箱根病院入院中の同年一一月にかけての原告惠子の所見としては、両下肢力筋低下、左下肢自力挙上不能等の運動障害、両側第五・第六頸髄レベル以下等の知覚障害等がみられるが、これらの運動障害、知覚障害は、その部位及び当時の国立療養所箱根病院における筋電図検査の結果異常所見が認められなかつたことなどからみて、解剖学的、神経学的に説明することは不可能であり、原告惠子の脊髄・未梢神経には器質的病変は存在していなかつたと考えられること、

(四)  昭和五七年七月当時における原告惠子の神経学的所見としては、脳神経領域に異常所見は認められないが、躯幹・四肢にはいくつかの異常所見が認められ、その特徴は、「(イ)四肢・躯幹には筋萎縮はない。(ロ)上肢の筋トーヌスはやや低下、下肢の筋トーヌスは消失し、下肢は弛緩性完全対麻痺の状態にある。(ハ)両手指(第二指ないし第五指)は軽度屈曲位をとり、能動的には伸展不能であるが他動的には伸展可能。(ニ)左上肢、肩関節の軽度の運動障害。(ホ)上肢固有深部腱反射は正常で左右差はなく、下肢の固有深部腱反射は軽度亢進しているが左右差はない。(ヘ)上肢ではホフマン徴候が左右陽性、下肢の足底反射は正常の反射態度を示し、バビンスキー徴候は左右とも陰性、クローヌス現象は認められない。(ト)感覚障害は両側前腕遠位部手掌、手背の尺側、第五指に軽度の痛覚・触覚鈍麻。左上腕近位部、肩、胸部、背部に解剖学的な感覚障害の分布とは一致しない軽度の痛覚・触覚の鈍麻。大略第九・第一〇胸髄レベル以下の躯幹及び下肢の感覚障害、左側は同レベル以下完全感覚脱失、右側は同レベル以下約二髄節レベル帯状の痛覚・触覚の鈍麻、それ以下は完全感覚脱失。」であるとみられること、右(ロ)の下肢の弛緩性完全麻痺は、もし器質的病変によるものとすれば、病変は脊髄前角、前根、末梢神経のいずれかに存在するはずであるところ、筋萎縮、筋線維束性攣縮、腱反射の減弱あるいは消失といつたこれらの障害部位に特徴的な臨床所見が認められないことから、神経学的に説明できない運動麻痺であること、右(ト)の両上肢遠位部の感覚障害の分布は、尺骨神経障害で見られる感覚障害の分布とほゞ一致するものの、左尺骨神経の神経伝導速度は正常範囲内にあることから、尺骨神経障害が明らかに存在すると断定することはできないこと、更に、右(ト)の左上腕、肩・胸部、背部の感覚障害は、解剖学的には説明できない分布を示しており、器質的病変の存在を想定することは不可能であること、また、右(ト)の両下肢の全感覚脱失の感覚障害も神経学的に説明できないものであること、そのほか、横浜市立大学医学部病院における諸検査の結果、筋電図学的には、異常所見はなく、原告惠子の両手指、両下肢の運動障害は、脊髄、末梢神経、筋肉の器質的な障害に起因するものではなく、機能的な随意運動性の欠如によるものと判断されること、CTスキャン上では脳に異常所見は認められないこと、脳波検査の総合判定としては「境界領域脳波」であつて、直ちに病的意義を置くことはできないこと、泌尿器科学的検査によると泌尿器科学的には末梢型の神経因性膀胱と診断され、このような型の障害は、一般的に脊髄の器質的な障害では起き得ない障害であること、

(五)  同大学医学部病院における心理検査の結果によると、原告惠子の性格は、外面的には、抑制したり、一応常識的な物の見方をしているが、内面的には、自己中心的な独断や妥協性のなさ、顕示欲の強さ、愛情要求を伴なう未熟な表現が目立つことから、ヒステリー性格と判断されること、

(六)  解離ヒステリーとは、人格的意識、自我同一性の意識状態が変容して、種々の精神症状が発現することを特徴とする神経症の一つのタイプであつて、もうろう状態、せん妄状態、夢遊、健忘など様々な精神症状が出現するものであり、また、転換ヒステリーとは、感覚系か運動系あるいはその両者が意識下において変化した結果として、身体の機能障害が生じることを特徴とする神経症の一つのタイプであつて、出現する機能障害の症状は、身体について患者が持つている知識を反映しており、種々の因子によつて変化するものであるところ、原告惠子には、本件事故後間もない昭和四九年八月中旬に解離ヒステリーの症状と窺われるもうろう状態あるいはせん妄状態が出現し、また、本件事故後二、三か月経過した時点において解離ヒステリーの特徴と一致する健忘が認められること、更に、転換ヒステリーの診断に欠くことのできない重要な根拠は、患者の示す症状が解剖学的・生理学的に既に知られているパターンと明らかに矛盾することにあるところ、前示の原告惠子の諸症状は、これが転換ヒステリーによるものであることを強く示唆していること、

(七)  前記医師酒井正雄としては、原告惠子は、本件事故により身体的には頸椎捻挫の傷害を受けたにすぎないが、本件事故前は順調な生活を送つていたところ、本件事故により一家四人が入院を余儀なくされたこと及びそれに続く入院生活、治療などが従前の生活を否定しかねない耐え難い危機として受け取られ、これが強い情動因子として作用し、加えてベッドの上に安静を命じられ自由を束縛された状況に置かれたことから、元来ヒステリー性格であつた同原告は、まず解離ヒステリーに罹患し、その後家族の者が退院する時期に至つても自分だけは退院の見込みが立たない状況に直面して、これが新しい情動因子として作用し、さらには、周囲の過度の庇護(入院から昭和四九年一〇月初旬まで付添者が付いていたこと)、医師と患者である同原告との人間関係のもつれなどが症状を慢性化させ、時には増悪させる因子として作用し、また、周囲の者から症状を教え込まれることによる注意固着や暗示作用も新しい症状形成に大きな役割を果たした結果、解離ヒステリーから転換ヒステリーに移行して現在の症状が完成されたものと判断していること、

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右の事実によれば、原告惠子が本件事故により脊髄損傷の傷害を負つたものとは認め難いところであるから(他にこの事実を認めるに足りる証拠はない。)、同原告は、本件事故により頸椎捻挫の傷害を負つたにすぎないものといわざるをえないところ、そのヒステリー性格に、本件事故及びこれによる一家四人の入院と同原告が長期間入院生活及び治療という自由を束縛された状態を強いられたことが強い情動因子として作用して解離ヒステリーに罹患し、更に、家族の者の退院時にも自分だけは退院の見込みが立たない状況に直面して、これが新しい情動因子として作用し、また、周囲の過度の庇護、医師と患者である同原告との人間関係のもつれなどが症状を慢性化あるいは増悪化させる因子として作用し、加えて、周囲の者から症状を教え込まれることによる注意固着や暗示作用も新しい症状の形成に大きな役割を果たした結果、解離ヒステリーから転換ヒステリーに移行して、現在転換ヒステリーの症状としての両下肢の弛緩性完全対麻痺、両手指第二指ないし第五指の能動的な伸展不能、左上肢・肩関節の軽度の運動障害、両側前腕遠位部手掌・手背の尺側・第五指・左上腕近位部・肩・胸部・背部の軽度の痛覚・触覚の鈍麻、左側の躯幹第九・第一〇胸髄レベル以下足尖までの完全感覚脱失、右側の躯幹同レベル以下約二髄節レベルに帯状の痛覚・触覚の鈍麻及びそれ以下足尖までの完全感覚脱失の各症状が発現しており、車椅子及び長下肢装具を必要とする状況にあるものと認めるのが相当であり、この認定を左右するに足りる証拠はない。

2後遺障害及び因果関係について

<証拠>によれば、原告惠子の前示の転換ヒステリーによる症状に対する治療方法としては、精神分析療法、とりわけ暗示療法が有効な場合があり、そのほか薬物療法を併用しあるいは機能訓練を併用する方法も存在し、これら治療方法によつて症状が回復あるいは軽快する可能性もあること、現在まで同原告に対しては精神分析療法による治療は全く行なわれていない状況にあること、ただ一般的にみて、より早い時期に治療を開始した場合の方が治療開始が遅れた場合に比べて、より短期間に、より良く回復する傾向があり、同原告のように事故から既に長期間経過し、長期間車椅子による生活をし、脊髄損傷による一級の身体障害者として扱われてきたことは、今後の治療上大きな障害となりうるうえ、同原告に対する治療の具体的方法についても現時点では明確な見通しが立たない状況にあること、また同原告の症状は、昭和五二年八月四日に国立療養所箱根病院において症状固定の診断を受けて以来現在まで両下肢の運動障害、感覚障害といつた基本的な点において全く回復が見られないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によれば、原告の現在の症状は既に固定したものというを妨げないものというべきであり、その症状固定日は昭和五二年八月四日と認めるのが相当であり、またその後遺障害の程度は等級表第一級に該当するものと認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

また、前示のとおり、原告惠子の右障害の発現には、本件事故のほか、同原告のヒステリー性格が一因となつており、加えて、入院中の同原告に対する周囲の過度の庇護や医師と患者である同原告との人間関係のもつれが症状を慢性化あるいは増悪化させる因子として作用し、また、注意固着や暗示作用が新しい症状の形成に大きな役割を果たしたものであるが、同原告の右後遺障害は、前示のとおり、本件事故を契機として発現したものであるばかりでなく、<証拠>によれば、一般に外傷を契機に軽いヒステリーを発症する事例はかなり多くみられること、一般に人に対して交通事故その他の原因により強い情動因子が加えられた場合、その者がヒステリー性格でない場合であつても解離反応を起こす可能性があるとともに、その者がヒステリー性格である場合には一層解離反応を起こす可能性が高いことが認められ(右認定に反する証拠はない。)ることに鑑みると、同原告の右障害は、本件事故による受傷及びその治療過程で同原告のヒステリー性格等原告側の事情が競合して発症したものと認めるのが相当であり、本件事故と同原告の障害との間には相当因果関係があるものというべきである。

3損害について

(一)  入院雑費 金八九万六〇〇〇円

前記認定事実によれば、原告惠子が前示の入院期間(合計一一二〇日)中、一日あたり金八〇〇円を下らない雑費を要したことを推認することができ、右推認を覆えすに足りる証拠はないから、同原告は入院雑費として合計金八九万六〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

なお、通院雑費については、これを要したことを認めるべき特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

(二)  通院等交通費 金四七万二〇〇〇円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告惠子の前示の磯子中央病院及び国立療養所箱根病院への入院期間中、同原告の洗濯物、日用品等の交換、補充及び病院との打合わせのため、原告禎介が平均して週に一回以上、磯子中央病院へはタクシーで、国立療養所箱根病院へは自家用車で往復したため、そのガソリン代及びタクシー代として少なくとも合計金三〇万円を要したこと、原告惠子は、前示のとおり磯子中央病院に八六回通院し、その自宅から同病院への一回の往復の交通費として少なくとも金二〇〇〇円(八六回で金一七万二〇〇〇円)を要したことが認められ、右認定を左右するに足りる確たる証拠はない。

右の事実によれば、原告惠子は、通院等交通費として合計金四七万二〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

(三)  家事手伝い費 金一〇九万三〇〇〇円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告惠子が前示のとおり受傷し入院したため、原告らの家庭の家事に従事する者がなくなり、原告らの家庭では昭和四九年一〇月二四日以降通い又は住込みの家事手伝いを雇わざるを得ない状況となり、森谷某を同日から昭和五一年二月二八日まで毎週月曜日、水曜日、金曜日の三日間、通いで日額金二一〇〇円の手当を支給する約定で雇用し、同人に合計金四二万八四〇〇円を支払い、天野ことを昭和四九年一一月一五日から同年一二月二五日まで及び昭和五〇年一月一三日から同年七月一八日まで、毎日住込みで日額金一五〇〇円の手当を支給する約定で雇用し、同人に合計金二七万七五〇〇円を支払い、倉光ヨシを昭和五一年三月七日から同年六月九日まで、毎日住込みで月額金四万五〇〇〇円の手当を支給する約定で雇用し、同人に合計金一四万八〇〇〇円を支払い、古谷某を昭和五一年七月一五日から昭和五三年四月末日まで毎週月曜日、水曜日、金曜日の三日間、通いで日額金二八〇〇円の手当を支給する約定で雇用したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、原告惠子は、家事手伝い費として昭和五二年八月四日までに少なくとも金一〇九万三〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

(四)  子供養育費 金一七万二〇〇〇円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告らの家庭では、原告禎介、同惠子の両名の入院中及びこれに近接した時期において、原告雅惠、同重明の両名を親戚に預かつてもらわざるを得ない状況となり、原告重明を昭和四九年八月三〇日から同年一〇月二三日までの五五日間原告禎介の義理の妹に、また原告雅惠を昭和五一年六月一〇日から同年七月一〇日までの三一日間原告惠子の両親にそれぞれ預かつてもらい、原告惠子が、右につきそれぞれ一日あたり金二〇〇〇円(合計金一七万二〇〇〇円)を養育費として支払つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、原告惠子は、原告雅惠及び同重明の養育費として金一七万二〇〇〇円の損害を被つたものというべきである。

(五)  補装具購入費 金九四万二三六七円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告惠子は、前示の後遺障害のため、生涯車椅子及び長下肢装具を使用せざるを得ない状況にあること、同原告は、昭和五一年一〇月九日に代金九万五一〇〇円で車椅子を、同月六日に代金一三万四一二〇円で長下肢装具をそれぞれ購入したこと、右各補装具は以後五年毎に買い替える必要があることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右の事実に、原告惠子の年齢(昭和五八年二月一八日で満四八歳となる。)、昭和五八年簡易生命表による満四八歳の女子の平均余命が三三・五年であることを総合すると、同原告は、右に認定した昭和五一年の分のほかに昭和五六年を第一回とし、以後五年毎に昭和八六年まで合計七回(昭和五一年の分を入れて八回)にわたり車椅子及び長下肢装具を購入し、一回につき金二二万九二二〇円を要するものと推認することができるから、症状固定日である昭和五二年八月四日以降の分についてはライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、その計算は別表5のとおりとなり、同原告は補装具購入費として金九四万二三六七円の損害を被つたことになる。

なお、同原告は、右の将来購入する補装具の価格は、消費者物価の上昇により現在の価格を上回ることが明らかであるとして、その損害額の現価を算出するにあたり中間利息を控除すべきでないと主張するが、将来長期間にわたり毎年継続して消費者物価が法定利率の年五分を超える割合で上昇するものと認めるに足りる確実な証拠はないから、右の主張はたやすく採用することができない。

(六)  乗用車改造費 金三八万四四二七円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告惠子は、本件事故当時まで自動車運転免許を有し自動車を運転していたが、本件事故後も自動車を運転することを希望し、そのため昭和五二年一一月に前示の後遺障害のある同原告においても運転し得るように使用中の自動車の改造をし、これに金一一万二〇〇〇円を支出したこと、同原告が将来とも自動車の運転をなし得るためには、以後自動車を買い換えるごとに同様の改造が必要であることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

右の事実に、前示の同原告の年齢、平均余命及び一般に自家用の乗用自動車の耐用年数が六年とされていること(このことは当裁判所に顕著である。)を総合すると、同原告は、右に認定した昭和五二年の分のほかに昭和五八年を第一回とし、以後六年毎に昭和八八年まで合計六回(昭和五二年の分を入れて七回)にわたり自動車改造費として一回につき金一一万二〇〇〇円を要するものと推認することができる(右推認を左右するに足りる証拠はない。)から、前同様の方法により中間利息を控除すると、同原告の乗用車改造費としての損害は、別表6のとおり金三八万四四二七円となる。

なお、右の将来支出する改造費用の損害の現価を算定するにあたつては、中間利息を控除するのが相当であつて、これを控除すべきでないとする原告惠子の主張が採用できないことは右(五)に判示したところと同様である。

(七)  住宅改造費 金四一一万六五四五円

<証拠>を総合すると、原告惠子は、昭和五三年ころ同原告の車椅子による生活に支障がないよう自宅の台所、廊下、浴室等を改造し、これに金四一一万六五四五円を要したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(八)  逸失利益 金二八〇〇万二二五四円

前記認定事実に、<証拠>を総合すると、原告惠子は、昭和一〇年二月一八日生で、短期大学を卒業したのち二四歳で原告禎介と結婚し、家庭の主婦として家事に従事するかたわら本件事故当時は七宝焼の教室を開設していたもので、本件事故により受傷しなければ少なくとも症状固定時(昭和五二年八月四日)の満四二歳から満六七歳までの二五年間稼働可能であり、その間昭和五二年から昭和五七年までは各年度の、昭和五八年以降は昭和五八年度の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者全年齢平均給与額と同額の収入を得られたはずであるところ、本件事故により等級表第一級に該当する後遺障害を被り、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

よつて、右認定の収入を基礎としてライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告惠子の逸失利益の症状固定時における現価を算定すると、その合計額は、次の計算式のとおり金二八〇〇万二二五四円となる。

昭和52年 1,522,900×0.9523=1,450,257

昭和53年 1,630,400×0.9070=1,478,772

昭和54年 1,712,300×0.8638=1,479,084

昭和55年 1,834,800×0.8227=1,509,489

昭和56年 1,955,600×0.7835=1,532,212

昭和57年 2,039,700×0.7462=1,522,024

昭和58年以降 2,110,200×(14.0939−5.0756)=19,030,416

合 計 28,002,254

なお、原告惠子は、逸失利益に関する予備的主張として、本件訴訟における鑑定嘱託により鑑定書が提出される前後において損害の性質を異にするとして、鑑定書作成日である昭和五七年九月三〇日以前の損害を既発生損害、その後の損害を将来損害と分別して主張するが、逸失利益を右のように鑑定書の提出された前後に区分して算定すべき相当性ないし合理的理由は見出し難く、ひつきよう逸失利益については前判示のとおり算定するのが相当であるから、同原告の右主張は採用するに由ないものというべきである。

(九)  入・通院慰藉料 金三〇〇万円

前示の原告惠子の傷害の内容、程度、入・通院期間、実通院日数等の諸事情に照らし、同原告が本件事故によつて被つた傷害に対する慰藉料は金三〇〇万円をもつて相当と認める。

(一〇)  後遺障害慰藉料 金八〇〇万円

前示の原告惠子の後遺障害の内容、程度等に照らし、同原告が本件事故によつて被つた後遺障害に対する慰藉料は金八〇〇万円をもつて相当と認める。

(一一)  以上認定の原告惠子の損害の合計額は金四七〇七万八五九三円となる。

四原告雅惠、同重明の損害について判断するに、原告惠子が本件事故による受傷のため長期間入院したうえ等級表第一級に該当し生涯車椅子による生活を余儀なくされる後遺障害を被つたことは前記三に認定、判示したとおりであり、<証拠>によれば、原告雅惠及び同重明は、母である原告惠子の受傷と後遺障害により、同原告が死亡した場合に比較して著しく劣らない程度の精神的苦痛を被つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。右の事実によれば、原告雅惠、同重明にも原告惠子の受傷及び後遺障害による慰藉料請求権を認めるのが相当であり、この原告雅惠、同重明の慰藉料としては、各金一〇〇万円をもつて相当と認める。

五原告惠子の性格等の寄与による減額

ところで、前記三の1、2で認定判断したとおり、原告惠子の前記後遺障害の発現・慢性化ないし増悪化は、本件事故のほか、同原告のヒステリー性格、同原告に対する周囲の過度の庇護や医師と患者である同原告との人間関係のもつれ、周囲の者から症状を教え込まれることによる注意固着や暗示作用、同原告が適切な精神医学的治療を受けなかつたことなどに基因するものというべきところ、本件事故を除く右のような事情は、主として被害者側の事情に属するものと評価すべきものであるから、これに基づく損害の増大を加害者側に全部負担させることは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の根本理念からみて適当でないといわざるをえない。そこで、民法第七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し被害者側の右のような事情を斟酌して加害者の賠償すべき損害額を減額するのが相当であると解されるところ、前記認定の事情を総合斟酌すれば、原告惠子の全損害及び原告禎介、同雅惠、同重明の原告惠子の負傷及び後遺障害による慰藉料の各四〇パーセントを減額するのが相当であるから、右減額後の原告禎介の損害額は金八五八万一八四一円、原告惠子の損害額は金二八二四万七一五五円、原告雅惠、同重明の損害額は各金六〇万円となる。

六損害のてん補

抗弁(損害のてん補)の事実は当事者間に争いがないから、原告禎介の前記損害額から金一六〇万円を、原告惠子の前記損害額から金一一〇八万八〇七九円をそれぞれ控除すると、原告禎介の損害額は金六九八万一八四一円、原告惠子の損害額は金一七一五万九〇七六円となる。

七弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を受けられないため、本訴の提起と追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、各原告ら主張の額の報酬等の支払を約したことが認められるところ、本件事案の難易、前記認容額、本件訴訟の審理経過等諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告禎介分として金七〇万円、原告惠子分として金一七〇万円、原告雅惠、同重明分として各金六万円をもつてそれぞれ相当と認める。

八以上によれば、原告らの被告らに対する本訴請求は、被告ら各自に対し、原告禎介において金七六八万一八四一円及び内金一二〇万円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四九年七月二二日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告惠子において金一八八五万九〇七六円及び内金四八〇万円に対する同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告雅惠、同重明において各金六六万円及び各内金六〇万円に対する同日から支払ずみまで右年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(塩崎 勤 松本 久 小林和明)

別表1〜6<省略>

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